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青森家庭裁判所五所川原支部 昭和37年(家)60号 審判 1962年12月24日

申立人 佐藤啓司(仮名)

相手方 佐藤竜彦(仮名) 外七名

主文

被相続人佐藤金一郎の別紙第一より第九までの目録記載の遺産を申立人と相手方らに対し、つぎのとおり分割する。

一  申立人佐藤啓司は、別紙第一目録記載の遺産を取得し、自己の相続分より超過分である七一万四、〇〇〇円を、内四二万五、〇〇〇円は相手方津田充子へ、内一八万六、五〇〇円は相手方佐藤周作へ、内七万二、六〇〇円は相手方佐藤文三へ、内二万九、九〇〇円を相手方山本利子へ、各支払え。

二  相手方佐藤竜彦は、別紙第二目録記載の遺産を取得し、自己の相続分より超過分である七八万六、三〇〇円を、内二九万八、二〇〇円は相手方木戸典子へ、内二二万五、〇〇〇円は相手方佐藤正男へ、内一五万五、一〇〇円は相手方山本利子へ、内一〇万八、〇〇〇円は相手方本田春子へ、各支払え。

三  相手方本田春子は、別紙第三目録記載の、相手方木戸典子は、第四目録記載の、相手方山本利子は、第五目録記載の相手方佐藤文三は、第六目録記載の、相手方津田充子は、第七目録記載の、相手方佐藤正男は、第八目録記載の、相手方佐藤周作は、第九目録記載の、各遺産を取得する。

別紙の審判費用は、これを九分し、その一づつを申立人と相手方らの負担とする。

理由

申立人は、その父佐藤金一郎が昭和三三年三月四日死亡したので、右金一郎の遺産について相続が開始し、申立人と相手方らは共同相続人となつたが、この遺産分割について協議が整わないからとの理由で、昭和三六年二月二七日調停の申立をした。しかし当事者間に合意が成立する見込みがないので審判事件に移した。

よつて当裁判所は、相当の証拠調をしたうえつぎのとおり認定判断する。

第一相続人について、

被相続人佐藤金一郎は、昭和三三年三月四日その本籍地において死亡したので、同人の遺産に対する相続が開始した。その相続人は、金一郎の直系卑属に当るつぎの九人であり、その相続分は平等である。

一  申立人佐藤啓司(二男)、昭和六年七月二一日生(独身)、小学校卒業、農業、資産なし、鶴田町居住。

申立人は、小学校卒業以来、家業である農業に従事していたが、一時、父金一郎と意見があわず、東京において土工として働いたこともあるが、その後帰郷し、農業に従事していた、父金一郎死亡後は、兄竜彦と同居していたが、昭和三六年一月頃、兄竜彦と折合いが悪くなり、妹充子、弟周作らと共に遺産である物置小屋に別居し、同年一年間は遺産である農地のうち、約半分位を耕作していたが、昭和三七年度からは、兄竜彦が農地全部を耕作したため農業ができなくなり、爾来日雇労務に従事し現在に至つている。

二  相手方佐藤竜彦(長男)、昭和二年一二月一四日生(妻子あり)、大学二年中退、農業、資産なし、鶴田町居住。

右竜彦は、農業学校(旧制中学)卒業後、一時、地方公務員となつたが、その後退職して青山学院に入学した。しかし、右学院も二年で中退し、家業の農業に従事して今日に至つた。父金一郎死亡後は、長兄として家事全般を掌どり、弟妹たちと同居していたが、弟妹たちとは折合いが悪く、昭和三六年一月頃、弟妹たちが別居してからは、遺産である家屋に居住し、昭和三七年度からは遺産である農地全部を独占耕作している。竜彦が現在の妻と婚姻したのは、父死亡後の昭和三五年である。

三  相手方本田春子(長女)、昭和四年一一月一九日生、高等女学校(旧制中学)卒業、無職(夫、地方公務員)、資産なし(夫に宅地、建物あり)、五所川原市居住。

父金一郎生前の昭和二八年婚姻。(子あり)

四  相手方木戸典子(二女)昭和八年二月一九日生高等女学校(旧制中学)卒業、無職(夫、浴場経営)、資産なし(夫の養父に宅地、建物あり)、五所川原市居住。

父金一郎生前の昭和二九年婚姻。(子あり)

五  相手方山本利子(三女)昭和一〇年一二月一五日生、高等学校卒業、農業(夫も農業)、資産なし(夫やその父に農地、宅地、建物あり)、鶴田町居住。

父金一郎死亡後の昭和三六年婚姻。(子あり)

六  相手方佐藤文三(三男)昭和一二年一一月三日生(独身)中学校卒業、メッキ工、資産なし、東京都居住。

右文三は、学校卒業後、東京に出てメッキ工として働いているが、健康上、将来も東京に居住することができない状態にあるので、本件遺産の分割を受け次第、郷里に帰つて農業に従事する考えでいる。

七  相手方津田充子(四女)昭和一五年一二月二六日生、高等学校卒業、無職(夫、会社員)、資産なし(夫の分不明)、東京都居住。

父金一郎死亡後、兄竜彦の後見に服していたが、昭和三六年一月頃、兄啓司らと物置小屋に別居し、昭和三七年一月婚姻。

八  相手方佐藤正男(四男)昭和一八年三月一四日生、中学校卒業、クリーニング見習工、資産なし、東京都居住。

父金一郎の死亡した昭和三三年三月中学校を卒業、その後現職について今日に至る。

九  相手方佐藤周作(五男)昭和二一年四月一一日生、高等学校一年中退、無職、資産なし、鶴田町居住。

父金一郎死亡後、兄竜彦の後見に服していたが、折合いが悪くなつて昭和三六年一月頃から、兄啓司らと物置小屋に別居。兄竜彦は、昭和三七年八月後見人を解任され、後任に母の弟に当る藤田清が選任されたが、本件の遺産が分割されないため、学費がなく高校を中退した。遺産の分割を受ければ、それを学費として学業を続ける考えでいる。

第二遺産について

被相続人佐藤金一郎の遺産は、別紙第一より第九までの目録記載の農地、宅地、建物がある外、動産として若干の農具と家財道具、それに約一〇〇万円位の債務のあることが認められるが、動産については分割の対象とするほどの価値のあるものはなく相続人間においても分割を望んでいないので、本件ではこれを除外した。また、右債務や相続開始から現在までにおける遺産の管理費用、収益、債務の一部返済等については、遺産分割の対象とすべきではないと考えこれも除外した。従つて、本件の審判の対象となつたのは、申立があつた別紙目録九葉に記載の不動産の分割のみとなつた。この不動産のうち、農地と宅地の一部については、その登記簿上の表示土地台帳上の表示とが一致しないものがあるが、これは現実に分筆、合筆又は地目変更をしているにもかかわらず、その登記手続を経ていないためであり、価額の鑑定は土地台帳上に表示された物件についてなされており、分割もこれによるのを便宜と考えたので主文の記載の物件中、登記簿の表示と異るものは土地台帳上の物件を表示したが登記簿との関係は別紙記載のとおりである。なお分割の対象となつた遺産の範囲については、当事者に争いがない。

右農地中、所定の手続を経ないで売却し又は賃貸している一部の農地と宅地を除いた残りの農地全部を耕作し、家屋を使用しているのは相手方佐藤竜彦であり、物置小屋を使用しているのは申立人佐藤啓司である。その他の相続人は、何等の遺産も使用していない。

第三生前贈与について

前記相続人のうち、被相続人から民法九〇三条所定の生前贈与を受けていると認められる者は、申立人佐藤啓司が父金一郎と意見が合わず、東京に出た際に生業資金として受けた二〇万円と、相手方佐藤竜彦が大学に入学した際、入学資金として受けた二万円に、相手方本田春子が婚姻した際、婚姻費用として受けた七万円の合計二九万円である。これについては相続人間に争いがない。なお相手方竜彦が父生前中結婚した内妻との婚姻費用は不明であり、相手方木戸典子の婚姻費用は、夫の木戸光一の方で一切負担したので、父金一郎からは、何等の贈与も受けないと主張しているのに対し、これらについては、反対の主張も立証もない。また、相手方山本利子、同津田充子は、父死亡後に婚姻しているので、その婚姻費用については、生前贈与の問題は起らないし、その他の相続人については、何等生前贈与を受けた主張も資料もない。

第四遺産の評価と相続分について

相続人間に争いのない遺産に対する評価額は、鑑定人川村幸之助の評価による別紙各目録に表示のとおりであり、その評価は相当と認められる。右遺産の総評価額は、四五六万三、六〇〇円である。但し、右遺産中、大字強巻字翁柳一一番の二号、田二反九畝四歩の評価は、鑑定人が自作農地として三四万九、六〇〇円と算定しているが、事実は小作地であり、これを被相続人死亡後の昭和三六年一月、申立人において小作人から取上げ、鶴田町の佐藤米吉へ三七万九、〇〇〇円で、いまだ県知事の許可も所有権の移転登記も経ていないがこれを売却し、その金員のうちから一五万八、〇〇〇円を離作料として右小作人へ支払つていることが認められるので、右農地は、売却価格から離作料を差引いた二二万一、〇〇〇円と算定するのが相当と解される。従つて、右農地の評価格である三四万九、六〇〇円から右二二万一、〇〇〇円を差引いた一二万八、〇〇〇円を、右総評価額から差引かねばならないから結局、総遺産の価格は、四四三万五、〇〇〇円となる。これに前記相続人らが受けた生前贈与額の二九万円を加えると四七二万五、〇〇〇円となり、これを相続人九名で割ると、その一が五二万五、〇〇〇円となる。これが相続人一人当りの相続分相当額となる。

第五分割について

本件の遺産は、その大半が農地であり、しかも、現実に農業を経営できると認められる相続人は、申立人と相手方竜彦のみであるから、右の相続人らに農地全部と、農業経営に必要な宅地、建物を分割し、その他の相続人らには、残余の宅地を分割相続させ、該農地等を申立人らに与えることによつて生ずる他の者に対する不足分については、申立人と相手方竜彦の両名に負債を負担させる方法が、もつとも適した遺産分割の方法と解される。しかるに、本件の相続人らは、遺産の分割意見として全員が強く現物分割を求めている。このような相続人らの主張理由は、かりに、申立人や相手方竜彦に前述のように、その大半の遺産である農地を取得させ、他の相続人に対して債務を負担させても、兄妹の仲が悪いため、右債務は容易に履行されないのではないかと考えているからであると解される。しかし、耕作能力のない者や、農業に従事できない者に農地を分割することは農地法の諸規定に照しても適当でないと解されるから、現に農業を営み又はこれを営む意思と能力のある者に分割した。もつとも前述のように他の相続人にも若干の現物を分割したその事情は多くの現物分割を受けた相続人の債務負担がそれに比例して多くなることによつて、右債務の弁済が困難になることを防止する一方、各相続人には、遺産債務の割当が約一〇万円前後あるものと思料されるから、相続人間の債務の弁済を受ける前に、遺産債務の請求を受けても弁済のできない相続人がでることのないように考慮したからである。以下、各相続人に対する遺産の分割事情を説明する。

一  申立人佐藤啓司について

申立人は、幼少より農業に従事しており、小学校卒業だけの学歴よりないため、将来も農業に従事するより生活の道がないから、宅地建物よりも少しでも多くの農地を分割して欲しいと主張しているので、同人の耕作に適すると思われる別紙第一目録記載の農地を分割した。本来ならば、農業経営に必要とする宅地、建物も当然分割すべきであるが宅地、建物は、これの分割を受けた相続人から借りる方法もあると思料した。(竜彦を除くその余の相続人は仲がよいので、その可能性が十分ある。)

申立人の相続分は五二万五、〇〇〇円から、生前贈与を受けた二〇万円を差引いた三二万五、〇〇〇円となる。従つて、同人が分割を受けた相続分より超過する額については主文記載のように債務の負担を命じた。なお、申立人が分割を受けた大字強巻字翁柳一一番の二号の田二反九畝四歩は、申立人において、知事の許可も得ずに売却をしているので、これは、申立人にその許可手続を経ることおよび登記義務を負わせるのが相当と解し、同人に分割した。(右農地に対する売却代金の使途については、申立人から種々の主張がなされているが、これは直接遺産分割に関係のない相続開始後の問題であるから、本件では判断を加えない。)

二  相手方佐藤竜彦について

相手方竜彦は、相続開始以来、遺産である家屋に居住し、農業に従事している。現在では遺産である農業全部を耕作している関係上、将来も農業に従事してゆかなければならないので、分割意見として、宅地建物は要らないから、農地全部を相続したいと主張していること、同人はその弟妹たちと仲が悪いため、遺産である家屋に同人が居住していると、弟妹たちが郷里に帰つても宿泊する家がない状態にある等のこと、竜彦が右家屋に居住していては、弟妹たちに何かと妨害を受けるばかりでなく、弟啓司との喧嘩の絶え間がないと認められること、および竜彦は農地の分割を受ければ、その土地に家屋を建築する考えでいることを考慮して、同人にも農地のみを与えることにした。もつとも全農地を与えることは前述の事情からできないのであるから、同人の耕作に適すると思われる別紙第二目録記載の遺産を分割した。

同人の相続分は、五二万五、〇〇〇円から生前贈与を受けた二万円を差引いた五〇万五、〇〇〇円となる。従つて、同人が分割を受けた右相続分より超過する額については、主文記載のように債務の負担を命じた。なお、竜彦が分割を受けた大字大巻字葉広六一番の二号の田七畝一六歩と、同所六二番の二号の田一反九畝二九歩の二筆は、父金一郎が生前に借り受けた二五万円の債務の利息の支払に代えて鶴田町の佐藤辰造に知事の許可なしに小作させているものであるから、債務の弁済によつて右田地は返還を受けられるものであるところ、竜彦において三万円を弁済していると主張しているので、同人に相続させ、債務については、相続人間の求償権の問題とした。また、大字鶴田字大泉一二〇番の一号、三号、四号、五号の宅地は、竜彦において相馬新一、相馬ハルの両名に対し売却(未登記)しており、同所八二番の四号と一二四番の二号の宅地は、国道用地として買収(未登記)を受け、これらの代金はいずれも竜彦において受領している事実があるので、右の宅地は、竜彦の相続分として同人に分割し、登記義務を負わせた。

三  相手方本田春子、同木戸典子について

右春子と典子は、共に他家に嫁いでいるにもかかわらず、強硬に現物分割を主張しているが、結局、長男、二男、三男に農地を分割した関係上、宅地、と建物より残らないので、春子に対しては家屋が建つてある宅地(別紙第三目録記載)を分割し、典子に対しては建物三棟(別紙第四目録記載)を分割した。他家に嫁いでいる者に、現物を分割することは必ずしも当を得たことといえないかも知れないが、右両名は、前記のように遺産債務を負担することと、該物件を申立人に貸与する意思のあることを考慮してこのようにした。右春子の相続分は、五二万五、〇〇〇円から、生前贈与の七万円を引いた四五万五、〇〇〇円となり、右典子の相続分は、五二万五、〇〇〇円である。右両名が分割を受けた相続分より不足の額については、主文記載のとおり、それぞれ他の相続人から金員で支払いを受けることになる。

四  相手方山本利子について

右利子も現物分割を望んでいるが、農地は前述のように他の相続人に分割したので、別紙第五目録記載のとおり宅地を分割した。利子に分割した遺産中、大字鶴田字大泉一二一番の三号の宅地六八坪四合は、相続開始後売却(未登記)されているが、その金員のうちから一八万円を利子の婚姻費用として使用していることが認められるので右宅地は、利子の相続分として同人に分割し、登記義務を負わせた。右利子の相続分は、五二万五、〇〇〇円であり、相続分より不足の額については、主文記載のとおり、他の相続人から金員で支払いを受けることになる。

五  相手方佐藤文三について

右文三は、現在東京に居住し、メツキ工として働いているが、健康上東京に居住することができないため、農業に従事したいから、農地の分割を受けたい。農地の分割を受ければ、直ちに帰郷し農業に従事すると主張しているので、残余の別紙第六目録記載の農地を分割した。右文三の相続分は、五二万五、〇〇〇円であり、相続分より不足の額については、主文記載のとおり、他の相続人から金員で支払いを受けることとなる。

六  相手方津田充子について

右充子は、兄啓司や姉達の援助によつて婚姻し、東京に居住しているので、現物の分割は適しないが、これまた遺産債務を承継している点を考え、別紙第七目録記載の遺産を分割した。右充子の相続分も五二万五、〇〇〇円となり、相続分と分割を受けた分の差額は、他の相続人から金員で支払を受けることとなる。

七  相手方佐藤正男について

右正男は、中学校卒業後、東京のクリーニング店に見習工として住込んでいるので、現物の分割は必要がないと解されるが、これも遺産債務に充当する分や、将来の生業資金の必要なことを考慮し、別紙第八目録記載の畑四畝歩(一二〇坪)を分割した。但し、右畑は現況宅地であるから、鑑定価格も宅地として評価している。右正男の相続分は、五二万五、〇〇〇円であり、相続分と分割を受けた分の差額は、他の相続人から金員で支払いを受けることになる。

八  相手方佐藤周作について

右周作は、昭和三七年四月高等学校に入学したが、後見人であつた兄竜彦も、現実に同居して面倒をみていた兄啓司も、教育費を出してくれないため中退し、本件の遺産の分割を受ければそれを学費に当て、昭和三八年度から高校に再入学する考えでいると主張しているから、即時売却処分の可能な別紙第九目録記載の宅地を分割した。なお、周作の後見人である藤田清は、農地の分割を希望しているが、周作には耕作能力がないこと、その後見人は他市内に居住しているため耕作をしてやれない理由から、農業経営は困難であり、農地を他人に小作させたのでは、学費が出ないことを考慮した。右周作の相続分も、他の相続人らと同じく五二万五、〇〇〇円であり、相続分と分割を受けた分の差額は、他の相続人から金員で支払いを受けることになる。

第六審判費用について

本件の審判費用は、別紙費用目録記載のとおりであり、すべて申立人が納付したものであるが、これは当事者全員の平等負担とした。

(家事審判官 水野正男)

(別紙省略)

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